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◆うどん、そば発祥の地「博多」

饂飩蕎麦発祥之地の承天禅寺は博多駅から徒歩10分くら
い北に行ったところにあります。
寺は 臨済宗の寺で 聖一国師が鎌倉時代1242(仁治3)年
に開山し博多の豪商・謝国明らにより建てられました。
境内には金文字で「饂飩蕎麦発祥之地」と刻まれた 高さ
3メートルほど石碑に「当、承天禅寺の開山、聖一国師は
駿河の国の御出身で、嘉禎元年,大宋国に渡り径山に至って無準師範禅師に参じ、辛酸苦修
在宋七年にして禅の大法を嗣いで仁冶二年(西暦1241年)目出度く帰国の第一歩を博多の
地に印され承天寺を開き在住、京都東福禅寺を開山移られるまで爾来禅の大法を拳揚される
と共に宋の文化を普く我国へ伝えられたのであります。その代表的なものに 羹、饅、麺と
と共に「古文書水磨の図」に残る製粉の原理は、今日の製粉技術の根幹をなすものと云われ
る粉挽きの技と共に庶民の常食として粉食の手法の原点を伝承の技として残されました。
星霜こゝに七百年、時代と共に薄れゆく伝承の史実を
記し聖一国師の頌徳 羹、饅、麺をこの地に於て始め
て作られたことを記念し 碑を建て後世に残す。」と
あります。
聖一国師は、水車を利用した製粉技術を記した設計図
「水磨の図」(重要文化財)を 宋より持ち帰り(重要文化
財) この 挽き臼技術による粉をベースにした食品、羹
(羊羹の前身)・饅(まんじゅう)・麺(うどん・そば)の製
法を日本に広め各地に麺文化が定着しました。


 

とんこつスープはチャンポンの副産物

 
長崎ちゃんぽんはラーメンの歴史と比較しても歴史は古く、鎖国時代に出島で食べられていた支那うどんを明治初年、長崎人の本吉某が、長崎丸山にて売りはじめ、長崎人に支那饂飩が好まれ広まっていました。
この他の福建省の人たちが長崎市内に出て、商売をするようになった明治30年代に、「四海樓」の陳平順が貧しい中国人留学生に安くて栄養のあるものを食べさせようと、料理で捨てる野菜くずや肉の切れ端などを炒め、それに水を加え塩などで調理したものに支那饂飩を入れ煮込んだボリュームたっぷりの料理が現在のちゃんぽんの原型となりました。やがて長崎の近海で採れる海産物を加えるなどの工夫をこらし、住民に広く親しまれ、この地の方言の「ごちゃまぜという意味のチャンポン」という名称で呼ばれるようになったというのが定説のようです。
他にも「ちゃんぽん」という固有名詞には諸説ありますが、この工夫をこらしたチャンポンは日本人の嗜好にあった味で、本格的な広がりを見せたのは明治32年からと言われています。
さて、豚骨スープですが料理をされている皆様にはご経験がおありだと思います。中華鍋で豚肉と野菜、などを妙めると乳化したような白濁したスープが底に溜まります。家庭では、これにコンソメやエビ、イカ、竹輪、かまぼこなどの海産物を入れ水を多少加えると「チャンポン」のスープとなります。
このスープを改良したのが豚骨ラーメンのスープとなっていきます。つまり豚骨スープは長崎ちゃんぽんが生んだ副産物ということです。